お正月にiTunes Storeで無料レンタルされていた「秒速5センチメートル」を、期限切れ17時間前になってようやく観ました。期限切れを知らせてくれた森の木の代弁者に感謝。



リア充も非リア充も幸せにしない映画とは聞いてはいましたが、ええ、確かに非リア充な学生時代を過ごした私には、何一つ接点のないストーリーでした。

新海誠監督作品と言えば毎回超絶美麗な絵が有名なわけですが、この「秒速5センチメートル」はごく普通の日常を描いた故に、「これ、もし実写だったらどうなのかなぁ…」ということをまず考えてしまいました。

絵、すごく綺麗です。現代のアニメーションの最高峰の作画の一つだと思います。でもそれって、現実を限りなくリアルに描写しただけなんですよね。アニメーションだから描ける画角、と言うものも特に見あたらず、だったら実写で撮ったら、この作品を作る労力は何分の1かになったのではないか、アニメーションという手法に拘った意味は何だったのか…という、富野由悠季監督の言う「表現したいと思ったものが、たまたまアニメという手法に向いていた」のとは真逆だと思うんですね。

ストーリーの中身と言えば、主人公の「遠野貴樹」が終始鬱っぽくボソボソと何か言っている姿のインパクトが強くそこしか記憶に残らず、小学校6年生にしては大人びすぎているし、大人になってももうちょっと生き方ないのかよ、と言いたくなります。彼の人生にはもう少し楽しいことってなかったのでしょうか。彼の人生において初恋?の相手「篠原明里」に関する部分を抽出した結果、ああいうシーンだけ集まってしまったのかも知れませんが…。

ラストシーンでも相思相愛だった2人は結ばれず、思い出の踏切で奇跡的に偶然すれ違った際にもお互いを確認するチャンスはありませんでした。ハッピーエンドが観たかったなぁ…という声も良く聞きますが、確かにその通り。しかし、ハッピーエンドだったり、あのラストシーンで2人が会話を交わしたりしたら、たぶんインパクトに欠ける作品になっていたのかも知れません。

幼馴染み時代の恋の相手と結ばれるなんてことはそうそうないわけで、そういう意味ではすごくリアリティのあるストーリーです。でも、だとすれば、それを敢えて描く意味、それもアニメーションで描く意味というのは何だったんだろう、と本題とは違うところで考えさせられる映画でした。